宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を
観てきました。
事前の情報発信をほとんどしないという
宣伝手法にも注目されていますが、
実際に観てみた体験からして、
はやり注目すべきはその物語構造であって、
宣伝手法はそれに従ったものに
すぎないのかなというのが今の印象です。
ほぼほぼ事前情報なしで映画館に向かい、
作品を見て感じたのは、
「確かに映像表現は
ジブリが開発したそれのオンパレードで、
今回新たに開発されたものもあるし、
観ていて飽きないけれど、
登場人物の感情の辻褄が
いまいちよくわからない・・・」
ということ。
なんか、パズルのピースが
全然足りないような感じがする、と。
そして、映画のタイトルの元でもある
『君たちはどう生きるか』を
読んでみたわけです(漫画版ですが)。
そうすると、
わかりにくいと思えていたストーリーが
一気に立体的に浮かび上がってくる。
「あのシーンは、主人公はきっと
ああいう思いだったのかな」
という感じで、
色々と腑に落ちることが出てくる。
実際に映画の中で主人公・牧眞人が
『君たちはどう生きるか』を
読むシーンがありまして、
それを転機に彼の行動が変わっていく。
映画の構造としては、
「眞人は『君たちはどう生きるか』を読んで
このように生きた訳だけど、
ところであなたたちはどう生きる?」
と宮崎駿に尋ねられているような。
つまり、映画『君たちは〜』は
原作『君たちは〜』へのオマージュでもあり、
映画を見た人たちを原作へと誘う
入口のような役割も果たしているし、
原作『君たちは〜』を補完するような
機能も持っていると思うし、
もっというなら映画『君たちは〜』は
原作『君たちは〜』によって完成するような、
そんな仕掛けでもある。
こういう作品の作り方があったのかという
新鮮な驚きがある一方で、
映画作品なのに、
原作を見ないと内容が理解できないという
めちゃくちゃリスキーな作品作りであって、
それに挑戦すること自体すごい。
確かに、約2時間の上映時間は
ものすごいスピードで話が展開して、
映像表現も素晴らしくって、
体験として十分な価値があるんですが、
そこにあえて
「足りないピース」を残しておく。
つまり満足させないことによって
映画を見た人に次のアクションを取らせる、
なんていうのはもう次元が違うというか、
圧倒的なクリエイティブだからこそ成し得る
異次元のマーケティングな気がする。
そして僕のように原作『君たちは〜』を読んだ人が、
また改めて劇場に足を運んで、
今度は眞人の気持ちを理解しながら
もう一度観たくなるような、
そんな作品に仕上がっている気がします。
これをマーケティング的に解釈するならば、
「確かにそれだけでも美味しいけど、
まだ何か足りない気がする」料理を出し、
「実はこの調味料を足すと、
もっと美味しいんですよね」と
食べ終わった後に教えられ、
味変して食べるためにもう一度来店してしまうような、
そんな手の込んだマーケティングが
成立しているような漢字です。
(作者がそれを意図したかどうかは別として)
それもこれも、
宮崎作品への高い期待値と、
ジブリ作品の圧倒的なクオリティがあって、
初めて成立するものだと思うので、
構造がわかったからといって
模倣するのは簡単ではありません。
でも、構造として理解しておくことで、
何かのタイミングで参考にできる余地はあるので、
やっぱり構造的理解とかは大事だと思います。
君たちは、どう生きるか!